同級生の一人が、通学途中で痴漢に遭ったのだという。
その子は同じクラスのあんまり喋ったことのない、いかにも大人しそうな子で、確かに触っても抵抗とかしないかも、とは思った。
朝から暗い顔をして俯いていたので、どうしたのと聞いてみたら、ほろほろ泣き始めてしまった。それを皮切りに、通学途中に痴漢に遭ったと証言する子は沢山出てきた。
私は、一度も痴漢に遭ったことがない。
最寄り駅は相模鉄道、通称相鉄線は大和駅。快速で横浜まで出て、そこからは京急に乗り換えて三駅。そこが私の通う女子高だ。
ちょっと有名な女子高で、今時はめったに見ない黒のセーラー服が可愛くて人気だ。
校風はまったりとしていて、でも騒がしいのは女子高だから仕方ない。母親は近頃のニュースなんかを見て苛められていないか心配してくれたりもするが、そんなものは一切ない。あったとしても、女子特有の無視だとかハブだとか、その程度で、大体が三日ぐらいで終わる、単なるケンカのようなものばっかりだ。
ふぅん、そっか。女子高で、セーラーだと、そりゃ痴漢も狙うよね。
だって、女子高の子だったら、彼氏と乗ってるなんてことは滅多にないだろうし、セーラー服は込み合った電車内でもよく目立つから、一人かどうかも一目瞭然だ。
痴漢に遭ったことがあると証言したのは、大半が背の低い、小さい子ばっかりだった。私はどういう訳か、高校に入学してから身長がにょきにょき伸びて、今は百七十二センチもある。両親とも小柄な方なのに、どうして私ばかりこんなに育ったのかは謎だ。
既に、百六十五センチの父親よりも大きい私は、痴漢に遭ったことがない。
だけど、今日まで大丈夫だったからといって、明日も大丈夫とは限らない。明日はもしかしたら、あの子ではなく私が痴漢に遭って泣いているかも知れないのだ。
私は、私の体を、見ず知らずの誰かには絶対に触らせたくないと思った。
「私、絶対に痴漢になんて遭いたくないな。多分、死にたくなるよ」
「チサは遭わないよ。だって、デカイもん」
帰り道、同じ中学で家も近いアユミに言うと、鼻で笑われた。アユミには寝坊癖があるので朝は一緒に行かないが、帰りはいつも一緒に帰る。
車窓からは、いつもと変わらない景色が見える。平凡な街並みなんだと思う。だけど、少し高い視点から眺める街は、まるで精巧なミニチュアみたいだったし、特に晴れた日は柔らかい色に世界が染まって、なんだか可愛らしい。
十一月に入ってからは、ところどころ赤や黄色に染まった木の姿が家と家の隙間や、公園なんかに見えて、ますます作り物じみて見えた。
同じ時間、同じ景色で、電車の刻むリズムは同じだ。
大和駅のホームは地下にある。窓の外が真っ暗になれば、もうすぐ到着だ。
アユミとは、どっちも帰宅部なせいで、丁度すいている時間に帰れる。電車に乗っている間に喋って、喋り足りなければ駅前の喫茶店やファーストフード店に入る。
「確かにデカイけどさぁ、去年までは私もチビだったじゃん。だから、もし身長が伸びてなかったら、私も痴漢に遭ってたんだろうなって」
「んんんん、確かにそうだね。チサ、すっごい伸びたから。あと、髪長いし。小さくて髪長いと、狙われるんじゃない?」
ふと、教室で被害に遭ったと言った子たちの顔を思い浮かべてみると、確かにみんな髪が長かったような気がする。
私の髪は腰ぐらいまであって、小学生の時からずっと伸ばしている。髪質は割と自慢で、癖のないストレート。一本一本が細くて、でも絡まりにくい。色は、光に透かすと少しだけ赤茶けて見える。自分の体の中で一番好きなパーツだった。
「だよね。どうにか痴漢に遭わない方法って、ないのかな」
「祈るしかないんじゃない? 女に生まれた運命だよ」
女子高って楽しいけど、共学と違って守ってくれる男子も居ないしね、とアユミが呟いた。
「そっか。男子が居ればいいんだ」
男子が居れば、狙われない。女子が一人で電車に乗っているから、狙われるんだ。
じゃあ、男子になれば痴漢には遭わないし、一緒に居るアユミもきっと、痴漢には遭わない。なんだ、すごいぞ。一石二鳥じゃないか。
「決めた。私、男子になる」
「はぁ?」
「私が男だったら、絶対痴漢に遭わないし、アユミも遭わないよ。ね、いいでしょ?」
「なれる訳ないじゃん。女子だからウチらは苦労してんだもん」
「身長百七十二センチの男子って、居ると思わない?」
アユミは少し黙って、まるで初めて会う人を観察するように、私の姿を上から下までまじまじと眺めた。眺めて、少しだけ指先で顎を擦って、目をまんまるに開いた。
「居そう。凄く」
「でしょ」
「待って待って。ちょっとマジでヤバイって。チサ、髪切ったらほんと、イケメンになるんじゃない? え、髪は? 切るの?」
「お財布に五千円入ってるから、今から切りに行こうかなって」
善は急げ。私のクラスの標語だ。クラス目標、ともいう。この言葉を掲げるだけあって、行動力のある子がクラスには多い。私もその一人だし、アユミも同じだ。やるとなったらすぐにやる。そうじゃないと、面白くない。そもそも、女子高生っていうのはノリとテンションで生きてる生き物だから、しょうがない。
アユミに付き合って貰って、私はいつもの駅で降りて美容院に向かい、バッサリ髪を切った。ショートカットにするなんて人生初で、どういう髪型がいいのか分からなかったので、アユミに選んで貰った。
ほんの少しだけ前のめりの、後頭部のラインが丸くなる感じのショートヘアで、出来栄えは美容師さんも太鼓判だった。
私が髪を切っている間、アユミは方々に電話を掛けて、一着の学ランを手配した。
同じクラスの子のお兄さんが、とある公立高校を卒業していらなくなった制服で、売るにしてもくたびれているから、捨てるところだったそうだ。
事情を知った相手の子は、すぐに学ランを紙袋に詰めて家を飛び出したらしい。すかさず、負けじと行動力を発揮したアユミはさっきまで乗っていた相鉄の横浜行き特急に飛び乗り、中間地点である二俣川で落ち合って、件の紙袋を掲げて戻ってきた。学生定期ってものがこれほど活躍する日が来るなんて、思ってもみなかった。
「チサ、着てみて。今すぐに!」
アユミの目はギラギラと不思議な熱を持って輝いていた。悪だくみをしているときのアユミは、死ぬほど楽しそうだ。
美容院を出て、あんまり利用者の居なさそうな駅ビルのトイレで着替えた。
黒いセーラー服を脱ぎ捨てて、黒い学ランに着替える。
ズボンの腰回りが少し緩かったものの、丈はあつらえたようにピッタリだった。スカートがねっとりとまとわりつくようなセーラー服とは違って、びっくりする位、通気性が良くて、動きやすい服だ。それに、生地がとにかく頑丈そうで、ちょっとやそっとじゃ破れそうにない。
なんだ、ズルい。男子って、こーんなラクな服、着てたんだ!
トイレの個室から出てきた時のアユミの反応は見物だった。目を大きく開いて、息を呑んだ後、両手で口元を抑えて何秒か硬直してから、ニヤリと笑って力強く親指を突き出した。
「どうかな?」
「完璧。チサ、男に生まれてたら今頃イケメン俳優かアイドルだよ」
くるくると私の周りを歩き回って、一通りチェックした後、アユミが言った。
「あ、そのボタン、校章入ってるから、付け替えないと」
「いいのがあるかな?」
黒い学ランには、金色のボタンが袖口と前に付いている。ころんと丸っこい、厚みのあるボタンだ。いい代わりが思いつかない。冬物のピーコートからむしり取っても、あれは黒いボタンだし、この服には合わない。
「手芸屋行こう。あそこならあるよ」
アユミに連れられて、初めて地元の手芸屋に足を踏み入れた。大き目の、コートに付ける用のボタンも何種類かあって、それぞれが小さな引き出しに収まっていた。
慣れない場所に気を取られている私をよそに、アユミは素早く、銀色のボタンを選んだ。隣に同じ形の金色のボタンもあったが、どうしたって銀色でなくては駄目だという。
「ほら、ウチらの学校のセーラーってさ、胸のとこに、銀色の刺繍で校章入ってるじゃん? だからさ、チサはウチらの学校の男子になるんだから、銀色のボタンじゃないとダメ」
「ああ、なるほど」
断言して、アユミは有無を言わせない素早さと強引さとものすごい速足でボタンと携帯用ソーイングセットを掴むとレジに向かった。奢ってくれるらしい。
手芸屋には階段の踊り場に休憩する為のベンチがあって、アユミはそこを陣取ると、ハサミで学ランに付いていた金ボタンを全部むしり取って、あっという間に銀色のボタンに付け替えた。
「んんんん、じゃあ、明日はセンセーショナルなデビューにしないとね」
「デビューって、歌手じゃないんだから」
「デビューじゃん。高校デビュー」
「もう入学して半年以上経ってるのに?」
普通、高校デビューというのは、入学と同時にするものなんじゃないだろうか。
「一年以内なら、デビューでしょ。チサ、明日から男子になるんだから、胸つぶしてきてね」
「潰すほどないよ!」
「あっ、そっか。ごめん」
アユミには立派な胸があるが、私には残念ながら胸がない。正直、羨ましい。
「でもさ、ないならそのまんまでいいんだから、ラクじゃん」
「うん。そうだね」
「じゃ、帰ろっか。あ、明日、一緒に学校行こうよ。絶対起きるからさ」
「わかった。遅れたら置いてく」
約束をして、そのままアユミとは別れた。さっきまで着ていたセーラー服は紙袋の中で、学ランは今、私が着ている。まるで、女子高生だった自分を持ち歩いているみたいだ。
線路沿いに、少しだけ横浜方面へと戻るように進むと、私の家がある。
庭付きの一軒家で、二階建てだ。庭には金木犀の木が一本植えてあって、ほんの少しだけ残った花が、かすかに匂っていた。
母親はパートに出ていて、夜にならないと帰ってこない。父親はというと、普段は横浜の会社に勤めているが、一年の半分くらいを海外出張に費やしているせいで、居たり居なかったりだ。ここ数日は気配を感じないから、海外に居るのかもしれない。
堪らない気持ちになって、ワクワクして、ベッドに倒れ込んだ。激しく軋んだ。
母親のリアクションがほんの少し、本当にちょっとだけ怖くはあったが、それよりも、興奮が勝った。
果たして、翌日。
私は堂々と、学ランを纏って登校をした。
アユミは約束通り、寝坊せずに、待ち合わせの時間ぴったりに大和駅に現れた。一緒にいつもと同じ相鉄線横浜行き快速急行に乗り込み、いつもと同じように小声で雑談をしながら登校した。
当然、痴漢には遭わなかった。
学校に着いてからが本番だった。
教室に入った途端、クラスメイトの人数分、悲鳴が上がった。耳がキンとなるぐらいのボリュームだった。私が髪を切った事と、男子の格好をしている事と、それが余りにも似合い過ぎているという理由で、噂は瞬く間に学校中に広まった。同じ一年生はこぞって見に来たし、野次馬の中には二年生と三年生も混ざっていた。
押し寄せる質問と野次馬の洪水の前に、アユミが立ち塞がった。ぶさけた感じで私のマネージャーを名乗り、見ず知らずの子の質問には直接答えなくても良いようにしてくれた。
質問が制限されたせいでか、噂は更に大きくなって、午前中、一年生のクラスは授業どころではなくなってしまった。
この騒動を、まったりとした校風が売りの教師陣も、流石に看過してはくれなかった。
質問をしたのは、学年主任にして日本史の古株。あだ名はぬらりひょんのヤマセンだった。女子高では男性教師とはひたすら小さくなっているものだが、定年退職間際ともなると年季が違う。女子高生って生き物と舌戦をする為のテクニックを全部知っている。
そう、こういう時には、頭ごなしに叱りつけると、生徒からの反感を買うだけだ。ヤマセンは正しい。
放たれた戦争開始の合図であるヤマセンの言葉に、クラス中がシンと静まり返った。
「先生、私たちは女子高生です。女子高の、本校の女子生徒です。そして、このクラスの中の、大体五人に一人くらいが、通学中に痴漢に遭っています。私は、絶対に痴漢になんて遭いたくないし、友達にも遭って欲しくないです。だから、女子をやめて、今日から男子をやることにしました」
「うん、それは、冬凪くん、それは……」
「学校は、痴漢から私たちを守ってくれません。痴漢は知ってるんです。制服で、私たちが女子高の生徒だって。だから、私は自分で自分を守ることにしました」
自分でもビックリする位、つらつらと言葉が出た。よく口が回るなと思った。別な人間が乗り移って、勝手に喋っているみたいだった。
私のスピーチに対して、教室の隅から「そうだそうだ!」とか「いいぞ!チサ!」とか声が上がった。バレー部とバスケ部の子だった。声が大きい。
うちの学校はバレー部とバスケ部が一番の人気者だから、つまりはこの二つの部の部員が味方に付いてさえしまえば、こっちのものだ。
「冬凪くん、きみの言い分はわかった。今日のところはとりあえず、その格好で過ごすのを許可します。ですが、他の人はくれぐれも授業を妨害しないように」
やった。勝った!
勝ち取った勝利に、クラス中が沸いた。ジャンプしたり、セーラー服の赤いスカーフを放り投げたり、口笛を吹いたりしている。こうしてみると、まるでアメコミかハリウッド映画るのかも知れない。クラスメイトの顔はいかにも気のいい奴、って言葉がぴったりで、多分、私だけじゃなく、殆どの子がセーラー服よりも学ランの方が似合うんじゃないだろうか。
結局、私はその日以来、約一週間セーラー服を放棄して学ランで過ごした。
ヤマセンは私の家にも電話を入れたが、母親はというと、面白がって放置を決め込んだ。常識人のような顔をしているが、私には到底理解できない価値観で生きている母親としては、娘の男装とか娘の校則違反なんかは大した問題ではなかったらしい。
私の学ラン姿を見るなり「あら、イケメンじゃない」と言って、随分と気に入ったようだった。あまりにもゆるいリアクションである。
登校、下校と、私は一躍人気者になった。
痴漢防止という大義名分のもと、クラスに関係なく、女の子たちがくっついてくるようになった。大半は家が私と同じ相鉄線沿線にある子ばかりだったが、一部、全く別な路線の子も、わざわざ横浜から大和駅まで付いてくるようになった。
お陰で、俄かに大和駅周辺のグルメスポットが一躍学校のトレンドになり、噂になった美味しいがちょっと高級なケーキが売りの喫茶店は、黒いセーラー服の集団で溢れた。
アユミがそんな面白いものを逃す筈もなく、手作りの大和駅周辺のカラオケ、ゲームセンター、喫茶店、手芸屋、ベーカリーなどをピックアップした地図を作ってコピーしてばら撒いた。
私、冬凪知紗の爆発的なブームが到来していた。
テンションの上がった女子高生なんてものは、暴走列車と同じだ。
ヤマセンを初めとした教師陣の注意も空しく、授業は日を増すごとに困難を極めた。要は、殆ど学級崩壊をしてしまった。
うちのクラスは元からある程度お互いを知っていたのでまだ冷静だったが、他クラスや他学年に熱狂的な層が出てきたのが問題だった。授業を抜け出して私を見に来るのだ。
ある程度はアユミを始めとしたクラスメイトが追い払ってくれたが、きりがなかった。
そして、教師陣の涙の嘆願を耳にしたヤマセンは、再度、私の家に電話を掛けた。
一本の電話が運命の分かれ道だった。
電話に出たのは、父親だった。
「チサ、着替えてきなさい」
突然、教室のドアを開けて、父親が現れた。ビックリした。
父親はずいっと前に付きだすようにして、紙袋を差し出した。中には適当に丸められたセーラー服が入っていた。あの日から、私はセーラー服を紙袋に入れたまま、部屋の隅に放置していたのだった。
普段、無口で、喜怒哀楽がわかりにくい上に、ほとんど会話したこともない父親に、そういう、有無を言わせない口調で言われると、弱い。だって、父親は私に対して、小さい頃から一度だって、理不尽に叱るだとか、頭ごなしに否定するだと、一切してこなかったからだ。
ひたすら物静かで穏やかな人、という印象しかない。
「今日は、早退させます」
言って、父は私に荷物を纏めるように促した。なにがなんだか、どういうつもりなのかわからないが、一緒に帰るつもりらしい。
アユミが心配そうな目で見てきたが、大丈夫だという意味を込めてウインクした。
もたもた荷物を纏めると、父親に鞄を渡して、代わりに紙袋を受け取った。
空き教室を借りて着替えると、セーラー服は案の定、くしゃくしゃだった。スカーフなんかは酷いもので、どう頑張っても右側がひん曲がる。諦めて、我ながら酷くみっともない格好で妥協した。せざるを得なかった。
そのまま、私と父は学校を出て、無言で歩いた。
沈黙の帰路。
平日。それも昼前の時間帯。電車はガラガラで、しかも相鉄線にはなんと、すぐに来るのは海老名行きの各駅停車しかなかった。ひとつひとつ、いちいち停まる。
「さっき、出張から帰ってきた所だったんだ」
星川に差し掛かったあたりで、やっと父親が口を開いた。
「帰って、荷物を置いたら、学校から電話があって、驚いた。髪、切ったんだな」
いや、まぁ、そうだけどさ、髪よりも先に言うことがあるんじゃない?
怒られても困るから言わないけど。
「出張、今回はどこ行ってたの?」
「ベトナムと、タイ。取引先の海外支社と商談して、うちの会社の支社で仕事してきた」
「ふぅん」
会話が途切れる。また、無言が続く。父親との会話はいつもこんなものだけど、状況が状況だけに気まずい。何せ、私は今、問題行動を起こして呼び出しを食らった身なので、立場は弱い。
二俣川で、電車が止まった。
湘南台行きの待ち合わせをするらしい。
関係のない湘南台行きなんてどうでもいいから、早く家に帰りたい。この空気と時間から解放されたい。家の中ならまだしも、外で、電車に父親と乗っているという状況がつらい。
ドアが開いたまま、時間が流れる。駅構内のアナウンスが聞こえてくる。同じ車両に乗っていた老婆が一人、降りていった。
「もし、お前が痴漢に遭ったとしたら」
また唐突に、父親が口を開いた。いつだって会話の始まりは突然だ。何がきっかけかわからない。謎だ。
「その時は、そんな男、ぶっとばして、いいんだ」
「えっ……」
絶句。
言われた意味がわからなかった。だって、父親が荒っぽい言葉を使うなんて一度も聞いたことがない。いつもゆっくりと静かに丁寧に言葉を選んで喋るタイプだと思っていた。
それとも、海外から帰ったばかりだから、日本語が不自由なんだろうか。
「お父さん、弁護士の知り合いも居るから。もし、そういう目に遭ったら、戦うつもりでは、あるんだ。だから、お前は安心して、その制服を着なさい」
思わず父の方を向くと、ものすごく真剣な目をしていた。
あっ、これ、完全に私がもう痴漢に遭ったと思ってるんだ。どうしよう。
「う、うん。ありがとう……」
プシュッ、と音がして扉が閉まった。
電車がやっと動き出す。足元では、紙袋に入った学ランが揺れて、ガサゴソと音を立てていた。