季節は11月に入っていた。寒さは本格的な冬へと徐々に近づいていて、学校を終えて帰宅した和義は長袖のシャツの上にジャンパーを着て、1人瀬谷駅へ向かって歩いていた。途中には一ヵ所だけ大きな県道を渡らなければならない箇所があり、家を出発する際には、
「絶対に青信号になってから渡るのよ。黄色になったら止まって、青になるまで待つのよ。分かったわね」
と母親からは何度も念を押された。
「分かってるよ」
1人で診療所へ行かされることになった和義は、少しばかり不貞腐れたような返事を返すと、玄関先まで見送りに出た母親をちらりとも見ずにバタンと乱暴にドアを閉めたのであった。
ちょうど青信号であった県道を渡り終えると、和義はズボンのポケットの上から財布が入っているか確認してみた。わずかにかじかんでいた手には、母親が買ってくれた小さながま口型の財布の感触が伝わってきて、彼はほっとした様子となった。財布の中には、電車の往復運賃と診療代の他に、帰りに好きなものを買いなさいと母親が50円ほど多く持たせてくれたお金が入っていた。無くしたら一大事とばかりに、駅までの道のりの間、彼は何度も財布の感触を確かめ、その度にほっとするのであった。
瀬谷駅に着くと、和義はズボンのポケットから取り出した財布からお金を出して券売機に投入し、間違えのないように慎重にボタンを押した。母親から幾度となく教わった切符の買い方ではあったが、1人きりで買うのは初めてのことだから、無事に金額通りの切符が出てきた時には思わずにんまりとなってしまった。
(ここまでは上出来だ)
和義は自己満足したように小さく頷くと、次の難関へと歩みを進めた。とはいっても、改札口を通るだけのことなのだが、人見知りの彼にはこれが大変に大きな仕事のように思われたのだ。だから、改札口の駅員におずおずと切符を渡し、改札鋏でハサミを入れた切符を返してもらった時は端無くも有頂天となってしまい、軽くスキップを踏みながら、三ツ境駅方面へと行く電車のホームへ渡るための跨線橋へと向かっていたのであった。
和義はほどなくやって来た電車に乗り込むと、ガラガラだった車内にもかかわらずロングシートの座席には座らずにドアの前に立って、ゆったりと流れゆく車窓の景色に見入った。母親と一緒の時は座席に並んで座り、彼は、おんぶをした弟を気にしながらもちょこんと腰を掛ける母親にいろいろと話しかけては、注目を自分の方へ向けさせるのに懸命になっていたので、車窓の景色にはほとんど視線を向けていなかったのだ。そのため、改めて眺める車窓の向こうへと広がる家並みや大きな建物、そして、所々に見え隠れする畑などが思いのほか新鮮に目に映った。瀬谷駅から三ツ境駅までは2分ほどの乗車時間ではあったが、彼はちょっとした旅気分を味わったのであった。
三ツ境駅を出ると、和義は目の前の道路沿いを瀬谷駅とは逆の横浜駅方面へと向かって数分歩き、途中にある右折する路地へと入っていった。このすぐ先に彼の通う耳鼻科の診療所があったのだ。
ちなみに、今でこそ相鉄線は横浜駅と海老名駅を結ぶ『本線』と、その本線の中間ほどにある二俣川駅と湘南台駅を結ぶ『いずみの線』の2路線があるが、当時は本線しかなかった。
和義は診療所の前に立つと、子供には少しばかり重くて大きすぎるドアを力いっぱいに開けて中に入った。院内の待合室にはいつもと同じようにたくさんの患者とその家族が幾つかあるソファーに座って順番を待っていたが、土足厳禁の待合室の右側にある受付の若い看護婦さんが彼に気付き、
「堂間君、こんにちは」
と声をかけてくれた。
「こんにちは」
和義はささやくような声で返事を返えしながら靴を脱いだのだが、待合室にいる人数に比べるとかなり狭い玄関にはすでに多くの靴がびっしりと行儀悪くあちらこちらに並んでいて、彼の靴を置く場所はありそうもなかった。彼は仕方なく玄関脇に置かれた靴箱に入れてあるスリッパを取り出して履くと、代わりに自分の靴を仕舞いこんでから待合室に入り受付の前までいった。
「お願いします」
和義はもじもじしながらも、母親から受付の看護婦さんにはそう言って診察券を渡すのよ、と言われた通りに実践した。すると、看護婦さんはわずかに驚いた様子で彼にたずねてきた。
「あら、今日はお母さんと一緒じゃないの」
「うん」
「だとしたら、瀬谷から1人できたの」
「うん」
「そうなんだ。それはとっても偉いわね」
看護婦さんがとびっきりの笑顔を見せながら、たいそう褒めてくれたので、和義は恥ずかしげに頬を染めながら素早く些少に頷くと、受付を離れ、何事もなかったように空いていたソファーの余地にしずしずと腰を下ろしたのであった。だが、心の中では嬉しさが充満していて、自分はとてもどえらいことをしたかのような心持ちとなり、しばらくはふわふわとした飽き足りた気分で座っていた。だから、毎度のように診察室に呼ばれるまでは30分ほどの時間がかかり、いつもはいつまでも続くテレビのコマーシャルを見ているような不満げな思いにかられるのだが、この日ばかりはこの30分が多少短く感じられた。実際に早く呼ばれたのかもしれないが、ふと気付いた時には自分の名前が呼ばれたので、彼はドアを開けていくつかの診察椅子が置かれている診察室に入っていった。
和義が看護婦さんに導かれるようにして座った椅子でおとなしく待っていると、
「待たせたね」
と老医師がやってきて、早速、金属製の吸引管を手にして治療を開始した。和義は、1人で診療所に来たことを老医師にも褒めてもらえると思っていたのだが、老医師はそのようなセリフは一言も発せずにいつものごとく坦々と治療を開始した。よく考えてみれば、老医師が和義が1人で来たことなど知りえるはずもなかったのだが、小学1年生の彼にはそのようなことはうかがい知ることができず、幾らか物足りない心持ちとなっていた。しかし、治療を終え、会計を済ませて外へ出た時にはそんなことはすっかりと忘れてしまい、薄暗くなってきた三ツ境駅までの道のりを急ぐのであった。
再び電車に乗り、瀬谷駅に戻ってきた時にはさらに暗くなっていたが、改札口を出た和義は直ぐにと商店街のアーケードへと足を向け、いろいろな店のめぼしい商品へと視線を送りながら、何を買うか物色しはじめた。だが、なかなか決めることができなかった。なにせ手持ちは50円なのだから慎重に選ばなければいけない。そんな彼の目に留まったのが、長方形のガラス箱の肉まん・あんまん蒸し器の中に並んでいたあんまんだった。白くふっくらとしたあんまんは温かそうな湯気を出していてとても美味しそうに見えたのだが、値段を見ると50円では買えない代物であることが分かった。彼はあんまんに未練を残しながらもアーケードの端から端まで見て回ったが、結局のところ、慣れ親しんだ肉屋のメンチカツを買い求め、夜のとばりが落ち始めた家路を歩きながら、かぶりついたのであった。
和義がもうすぐ家に到着する時分には外はすっかりと暗くなってしまった。しかし、家が小学校の近くにあった関係なのか、周囲には電灯がずらりと並んでいて道路を明るく照らしてくれていたので、彼は少しも怖いとは思わなかった。だけれども、家の前で心配そうにじっとこちらを見ていた母親の姿を認めた瞬間、彼は思いっきり走りだしていた。なぜだか分からないが、目が潤み、気が付いたら母親に抱きついていた。
「よく1人で行けたわね。頑張ったわね」
母親がそう言ってぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれるのに、しばらくの間、和義は気持ち良さそうに身を任せたのであった。
子供の順応力というのは驚くべきもので、半月もすると和義は1人で診療所へ通うことにすっかりと慣れてしまい、当初抱いていた不安も遥かなる時の彼方へと吹っ飛んでしまった。家から瀬谷駅に行くまでの道のりも、母親から教えられたものよりずっと近い道を見つけ、家々の間の路地を通り抜けてはすっかりと1人ご満悦となっていた。
帰路に使うことができる50円についても、商店街で買い物をするばかりでなく、途中に幾つかある町中の駄菓子屋も利用するようになっていた。駄菓子屋でなら50円もあれば、小袋に入ったスナック菓子やラムネ、きなこ棒、よっちゃんいか等々、様々な駄菓子が2つ、3つと買えるからお得なのであった。
年が明けて2月。冬の厳しい寒さが毎日のように続いていた或る日のこと、和義は風邪をひいてしまった。熱こそでなかったもののしばしば咳をするようになっていた。というわけで、学校が終わって診療所へ向かっていた彼は、いつものようにセーターの上にジャンパーを着たほかに、母親が編んでくれた毛糸のマフラーと手袋を身につけ、口にはマスクをしていた。だから、診療所に着いて、受付の看護婦さんに診察券を渡す際、
「マスクなんてして、風邪でもひいたの」
とたずねられてしまった。
「そうです」
和義がマスク越しにくぐもった声で返事を返すと、
「それじゃ、先生に言っておくから、風邪も診てもらいましょうね」
と看護婦さんが言った。
いつものように30分ほど待たされて、マスクをしたままで診察室へ入っていくと、
「風邪をひいたそうだね。鼻の治療が終わったら喉を診てあげるからマスクをはずしておいてね」
と老医師に指示されたので、和義は幾らか慌てた様子でマスクをはずし、ジャンパーのポケットに突っ込んだ。
老医師は最前の言葉通り、鼻炎の治療後、和義に口を開けさせて喉の奥をのぞき込んだ。
「おっ、ずいぶんと腫れて赤くなっているな。ルゴール液でも塗っておくか」
老医師はそう言うと、長い綿棒に赤黒い液体をつけて喉の奥の方へ塗りつけたのだが、和義は反射的に、おえっと嘔吐してしまった。綿棒がのどちんこに当たり違和感を覚えたのも不快だったが、ルゴール液の苦いような、辛いような、それでいて甘いような、とにかく今まで経験をしたことがない不味い味に辟易してしまったのだ。そんな彼の様子を老医師は可笑しそうに顔を歪めて見つめながら、
「これで風邪はよくなると思いますよ」
と簡単な一言を投げかけた。
診察室を出た和義は喉に残る忌々しいルゴール液の味を噛みしめながら会計を待っていたのだが間もなく自分の名前が呼ばれたので受付へ行った。すると、会計担当の看護婦さんからはいつもより高い金額を告げられた。
「えっ」
と思わず和義が驚いたような声音を漏らすと、
「今日は喉にお薬を塗ったから、その分だけ高いのよ」
と看護婦さんが諭すように言った。
和義は戸惑いながらも、得意だった算数を活かして頭の中で素早く計算をしてみた。その結果、財布に残っている金額から告げられた治療代を差し引くと、帰りの電車賃が足りなくなってしまうことに気付いた。
(どうしよう)
彼にもう少し人生経験があれば『お金がないので次回に支払います』などのセリフが出てくるのだろうが、なにせ小学1年生のことなので、そのような考えは出てこない。和義は頭の中であたふたと活発に思考を進めてみたのだが残念ながら良い方策はまったく浮かんでこなかった。その代りに全身が硬直してしまい、つかの間黙り込んでしまった。
「堂間君、どうしたの」
看護婦さんの心配そうな声で我に返った和義はようやくのことで硬直から解放された。そして、諦めたようにゆっくりと財布を取り出すと、告げられた金額を支払った。
(さて帰りはどうしよう)
不安げに顔をしかめた和義は、
「お大事にね」
と声をかけてきた看護婦さんに小さく頷くと、肩を落としながら診療所を出たのであった。
外はまだ明るさを残していたが、西日の光はずいぶんと色が薄くなっていた。もう少しで日が暮れてしまうことは容易に想像できた。家に電話があれば、電話をして迎えに来てもらうこともできるのだが、生憎なことに和義の家には電話がなかった。また、彼が人見知りでなければ誰かに助けを乞うこともできたのかもしれないが、それもできそうにない。
(こうなったら歩いて家に帰るしかない)
和義はそう決めると、ポケットから出したマスクをつけながら瀬谷駅方面へと歩を進めたのであった。しかし、彼はどの道を通れば家まで辿り着けるのかが分からなかった。そんな時である。ゴー、ゴー、ゴーという電車の走行音が聞こえてきた。
(そうか、相鉄線沿いに歩いて瀬谷駅まで行けばいいんだ。駅からなら道も分かる)
不安でいっぱいだった和義は、一筋の光明を見つけ出したことで無意識のうちに笑みを浮かべたのであった。
というわけで、しばらくは線路を左手に見ながら道路を歩いていたのだが、突として前方に現れた大きな建物が線路沿いの行く手を阻むように建っていた。和義はどうにか通り抜けることができないかと建物の前を何度か見て回ったが、どうやら無理であることが分かった。そこでいったん右側へ曲がって迂回してみることにした。線路沿いから離れるのは心細かったが致し方ない結論だった。
その後、和義はすぐに見つけた左側の狭い路地に入り込み急ぎ足で歩を進めた。左手にある家々の間からは相鉄線の線路が見え隠れするように垣間見えたので、とりあえずは安堵しながら歩いていたのだが、アスファルトの道路がいつの間にか土の道へと変わり、今度は広い畑が行く手を立ち塞いでしまった。だが、よくよく見てみると、畑の向こう側にさらに先へ進めそうな道があることが分かった。勝手に畑を通ることは決してよくないことであることは理解していたが、見回すと人影はまったくなかった。彼は済まないとは思いながらも、
「よし!」
と気合を入れると、畑の中へ入り込み、全速力で走りだした。幸い足の速さには自信があった。和義は土がなるべく固められていた箇所を選んで走ったが、途中でぐにゃっとした柔らかい土の感触を足で捉えると、せっかくの野菜をダメにしてしまったのではないかと申し訳ない心持ちとなった。が、この時ばかりは敢えて気にしないことに努め、畑を突っ切ることだけに集中した。だから、誰にも見つからずに向こう側の道へ到着した時には息がぜいぜいしてしまい、つけていたマスクを外しジャンパーのポケットに入れたのであった。
比較的広いアスファルトの道路に出た和義は、左手に線路が見えるのを確認してから歩き出したのだが、道路は緩い下り坂となり、ほどなくT字路に突き当たってしまった。しかし、左側を見ると線路が道路の上を走っているのが見えた。彼は迷うこともなくそちらへ向かい架道橋をくぐると、すぐに右の路地へ曲がった。線路は右手へと移った。しばらく道なりに歩いていくと今度は大きな道路にぶつかってしまった。しかし、薄暗くなった遠くに相鉄線の踏切が見えたのでひと安心したのだが、左右を見回しても信号機のついた横断歩道は視線の中には入らなかった。車の往来はとても激しくて途切れることはない。
(どうしたらいいんだろう)
彼が途方に暮れたように道端で様子をうかがっていると、踏切が鳴り出した。それを潮に車の流れがぴたっと止まった。彼はチャンスとばかりに道路を横切ると、線路側にあった急な上り坂の路地へ入った。
その後は、線路沿いの道路を見つけては急ぎ足でどんどんと進んでいった。右へ曲がったり左へ曲がったり、坂を上ったり下ったり、架道橋をくぐったり戻ったり、時には行き止まりの路地に入り込んでしまうこともあったが、線路があるのを確認すると力強い援軍を得たように瀬谷駅へと進んでいった。そのうちに西日がすっかりと消えてしまい周囲は薄暗くなる一方となった。自然と涙が込み上げてきては、泣くものかと我慢していたのだが、和義は無意識のうちに涙を吹き飛ばすように無我夢中で走り出していた。全身からは汗が出はじめた。彼は首に巻いていたマフラーをとると、ジャンパーのポケットに無理矢理に押し込んだ。
そして、長い坂道を上りきった時、ようやくのことで瀬谷駅の近くの踏切に出たのであった。すっかりと暗くなってしまった先には商店街のアーケードと瀬谷駅がある。和義は歩調を緩めると、アーケードをやり過ごして瀬谷駅へ向かった。瀬谷駅こそが徒競走のゴールのごとくに思われたからだ。だから、駅に着いた彼はまるでテストで100点をとったかのような満足感に包まれた。家まではまだ20分ほどもかかるのだけれども、瀬谷駅の改札口の穏やかな灯りに包まれた彼の内心からは、ここまでの不安げな心持ちはすっかりと消えてしまい、何事もなかったように家路についたのであった。
それから半世紀近く経った現在、和義は横浜駅から10数分ほど歩いた場所にある中規模の貿易会社で経理部長として働いている。両親はいまだに健在で、ずいぶん前に購入した瀬谷駅近くの建売住宅に住んでいる。2人の娘はすでに結婚してしまい、今では妻と2人で暮らしているが、その家は、地元の同級生と結婚したこともあり、お互いの実家の中間ほどにある。だから、今でも相鉄線の瀬谷駅を利用している。いたって平凡な日々ではあるが、電車が三ツ境駅に停まったり、瀬谷駅に到着した際、彼はどうかすると三ツ境駅から瀬谷駅まで歩いた小学1年生の頃の自分を思い出すことがある。三ツ境駅は商業施設が併設された駅ビルとなり、瀬谷駅は近代的な橋上駅舎となり、便利に進化しているが、その時だけは遠い記憶の中に残っている懐かしい両駅の面影を思い出すのであった。